田村浩一の言わせてもらいます Vol.4

再び「道」について

初回の私の投稿は「遠い道」であった。ここで、「道」と付くのは茶道、柔道、剣道、空手道など多くあるがいづれも単なる技術の向上やレベルを競うだけでない、何か精神的な目標や柱がある、と書いた。

最近、兄弟が争い弟が兄を殺したとか、15歳の少年が両親を殺害したとか殺伐とした悲しい事件が多い。人間にはその年齢に応じた通るべき「道」があるのでないか。
どうしてこの最悪の事態になるまで放置していたか、誰も矯正する手段がなかったのか、誰もが少し「道」が外れているぞ、と前兆に気がつかなかったのか、まったく悲しくなる。

少年時代は私の場合、約50年前になる。この時代は父の転勤の関係で宮城県仙台市の中学校に通学していた頃だ。それまでは名古屋の小学校に通っていた。狭く小さな社宅であったが今は楽しい思い出ばかりが頭に残っている。仲間は多くおりメンコやこま回しやトンボつりを思い出す。弟とタモで小川へフナを取りに行ったり、夏には蝉を取りに行って5匹くらい羽を手で挟んで家に持って帰り(家に着く頃にはトリモチで羽がつぶれ蝉は死んでいた)母にかわいそうにと怒られたことがある。

家の前にはおばあちゃんが家族と一緒に住んでおり、いたずらして怪我をするとこのおばあちゃんのところに連れて行かれて話を聞いた後、尊い水を少し飲まされ、シワクチャの指先で痛いところをかざしてくれる。そうすると不思議なことに痛みが消える。いまでもその原理はわからない。でも痛みが癒えた記憶は消えない。
やさしいお兄ちゃんもいた。彼は私たちに作法、たとえば「ありがとう」をいうタイミングを教えてもらった。人前でおならをしたら「失礼」。を教えてくれた。私の仲間はみな腕白でいつもケンカばかりしていて親を泣かせていた。新しいメンコが欲しくていくらかお金を家から持ち出したのを母に見つかり、母は私を前に座らせワンワン泣きながら諭されたのを昨日のように思い出す。

考えてみると私の今日あるは(1)両親の躾と愛情(2)友達関係(3)近所の人たちとの関係(4)兄弟関係(5)学校にいる間の先生や友達との関係の5つの、いわゆる人間関係の中で通るべき「道」をそれなりに通り、年齢に応じた礼儀や常識や知識を学んだ結果と感ずる。

今の少年達を思うとき私が経験したような環境があるのかないのか、時代が変わっても人間が成長するスピードは昔と変わらない。変わったのは社会、たとえば豊かな物質社会、IT社会、車社会、情報氾濫社会等等、どんな社会であっても上述した(1)から(5)までの関係の中で己がもまれ、その年齢に応じた「道」を通って成長して行けば昨今のような少年が絡む不幸な事件は起こらないのではないか。特に少年には輝く未来があるはず。少年の場合は特に(1)の親子関係に最大の問題があると思う。普通に生活していればどんな子供でも親の背中を肌で感じるはず、それが年に5回も6回も引越して家を変わろうとも親子の関係が、普通の会話をしていれば防げたのではないか。事件の背景にはもっと複雑な要因があるに違いないと思うがひとつの原因が(1)にあるのは間違いない。

40年前と比較すると世の中の変貌速度は数倍であろう。でも、人間の成長の速度は昔と変わらない。どうすれば不幸な少年事件がなくなるのか。とりまく大人に責任がないとは言えない。お互いによく考えたいと思う。


田村浩一(外断熱推進会議事務局)


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投稿者 sotodan : 2005年08月12日 00:08