田村浩一の言わせてもらいます Vol.2
小さな国際交流
私は昭和57年から約10年間、茨城県土浦市にある硝子繊維製造工場(現在の(株)マグ)に勤務した。赴任当時は土浦の駅舎も木造で周囲は田圃や蓮の池でローカールな景色を見せていた。つくば科学万博EXPO85(昭和60年)の開催を機に万博中央駅が新設されたり、つくばからJR土浦駅までの道路が整備されたり町は急速な変化をとげた。
つくば科学万博の跡の広大な地域には企業の研究所や工場、官庁の施設や大学などその町並みは外国の町と思うほどである。この地域はそれ以後「研究学園都市」と呼ばれることになる。話は飛躍するが平成17年8月には秋葉原からつくばまでの高速鉄道が開通する(つくばエクスプレスといいたった45分で走るそうです)ことになり、ますます都会と近くなり郊外とはいえなくなるであろう。 話をもどす。そんな訳でここには外国からの研究者や学生が住み、JICA(国際事業協力機構)の施設や学校なども作られ、つくばは国際的な色合いを毎年濃くしていくのである。その頃、土浦市にボランテイアグループとしてCOSMO ECHO(コスモエコー)が誕生した。これはつくば学園都市に在住または勤務する外国人を対象に日本の文化、たとえば着物や茶道や弓道や邦楽や七夕などを紹介して日本を理解してもらうと同時に外国の文化も知ろうという、国際ボランテアであると家内から聞いた。というのはこのグループ企画も運営もすべて女性が主体で男性は入会できない仕組みのようで、家内はメンバーとしてお世話していた関係で、私は間接的のその存在を知った次第である。
昭和65年頃か、家内より一度参加しないかとの誘いがあり、見学したことがある。その後、ある年の春、土浦の文化センターで今回は日本の文化、特に着物、生け花、邦楽(琴 尺八 三味線)を紹介するので応援してほしいとの要請が家内からあった。すこし迷ったがあまり難しい曲より日本の民謡やわらべ歌、春の海位ならと承知した。演奏後参加者に体験してもらうコーナーもあるので尺八も複数用意した。
聞くのも、見るのも、触るのも、初めてという方もおり、特に体験コーナーでは尺八を吹くと「頭がクラクラする」といってギブアップする人や音が出て感激する人など愉快な雰囲気であった。尺八の歴史を質問する方もおり、こちらも恥をかかないように勉強しなければならない。こんな経験を数年繰り返すうちにこちらもすこしずつ慣れ、あまり慌てなくなった。毎年同じ曲を演奏しても聞く方は初めての方が多く気が抜けないイベントではある。
ある年、折り紙のイベントでアルバニアの青年と知り合いになった。彼は国の研修生として国費で留学しており専門は地震学という。日本語と英語が堪能で意思疎通には問題なく、以後毎年会うことになる。ある夏には私の住んでいる近くの手賀沼の花火大会に招待したこともある。しばらくして彼は結婚した。その後もお付き合いは続き当時彼が住んでいたつくばの家に招待されたことも今は懐かしい思い出である。奥様が作られたお国の料理をご馳走になり、今思うとレシピを聞いておけばよかったと思う。数年後、女の子が誕生しアニサと名づけられた。彼女は日本語と英語とアルバニア語を同時に覚えていくらしく、小さい子の吸収力には感心した。4年ほど前カナダへの転勤が決まりお別れすることになった。カナダへ移住後男の子が誕生し4人家族で楽しくお暮らしのようである。
今は電子メールで近況や写真を交信している。先日はアニサの成長振りに驚かされた。私の尺八の趣味が彼を知る機会になったことの偶然の面白さを感ずる。正月やクリスマス、誕生日などには国際電話で声を聞く。アニサはすっかり日本語を忘れたようだ。
彼の住むONTARIOには行ったことがないが一度訪問したいと思う。彼も彼女も尺八の音を覚えているだろうか。お互いの国や個人を理解し、なかよく交流していく、それを国際交流というなら小さい交流ではあるが今後も大事にしていきたい。
アルバニアには竹の楽器があるのかないのかそれを聞くのをずっと忘れていた。いつかはアルバニア一の美しい湖(スプタリ湖)で尺八を吹いてみたい。
田村浩一(外断熱推進会議事務局)
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投稿者 sotodan : 2005年08月12日 00:05
